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ごとう兼位(かずひこ) ハート&ハート活動日記

― 活動内容を紹介します ー

このページは、石巻市議会議員 ごとう兼位(かずひこ)の活動日記です。
活動日記のほか、日々感じた事も話題に、少しずつですが紹介していきたいと思っています。

皆さんのご意見をお待ちしています。

■2011年5月25日(水) の日記
<<近隣トラブル>>
街中にはいまだ被災した車が放置され回収率が悪い。それに伴って、近隣のトラブルにも発展している事例が多い。
市外の一社に回収業務委託をした矛盾が一気に噴出している。瓦礫、被災した車、これらの回収が復興の第一歩だ。

■2011年5月24日(火) の日記
<<「ガス抜き」の公募>>
仮設住宅の供給不足等が問題になっている。「いつ仮設住宅に入れるのか」被災者は一日も早くと願う。
現在進められている仮設住宅は、国内のプレハブメーカーだけだ。しかし、5月中旬になって宮城県は「輸入住宅資材を用いた応急仮設住宅供給の供給事業者の公募結果について」応募した事業者に通知した。
宮城県は、一般社団法人すまいまちづくりセンター連合会に供給事業者リストの作成を要請していた。しかし、各市町がその事業者リストから発注しても、施工管理は各市町の職員が受け持つとなっている。しかし、実際には対応できないのが現状だ。現在進められている仮設住宅同様、県が責任を持って実施すべきだ。
規制緩和の名のもと、「ガス抜き」の公募となると批判されている。

■2011年5月23日(月) の日記
<<第2回臨時会開会>>
PM1時、石巻市議会第2回臨時会開会。
条例議案12件、予算案9件、条例外議案6件、大部分が専決処分の報告並びにその承認を求めるものだ。
専決補正予算の一般会計では、災害救助経費や、瓦礫等の災害廃棄物処理経費、災害対策経費、道路、学校施設、児童福祉施設などの災害応急復旧経費等に所要の額が措置された。
質疑では、瓦礫の撤去問題。小中学校の遠距離通学児童のバス通学について。仮設住宅問題について。雇用問題、地場産業の復興について、厳しい指摘があった。
震災により死亡した方の遺族に対する弔慰金、災害障害見舞金、災害からの生活再建資金として貸付ける災害救援資金貸付金に要する災害援護費235億円が措置された。
今日の臨時会の会期は1日間で、夜10時15分ごろ閉会となった。

■2011年5月22日(日) の日記
<<複眼的な復旧作業>>
瓦礫の撤去がなかなか進まない。市当局も必死に対応しているが、約600万トンの巨大な瓦礫の山に身動きがままならない。
便乗ゴミも街中には出るありさまで、その撤去にはもう少し時間がかかるだろう。
消毒作業も急がなくてはならない。気温の上昇に伴いハエ等など害虫が目につく。環境衛生の向上にも目配せさせながら、複眼的な復旧作業が大事だ。

■2011年5月21日(土) の日記
<<農業再生>>
釡地区の園芸農家等でつくる「3.11東日本大震災釜地区復興の会」全体集会が開かれ出席、役員から、18日に行われた亀山市長に対する要請書の提出について報告があった。
農地瓦礫の撤去を市で行うように要望した。これに対して亀山市長は「瓦礫撤去は市行う」と回答、農業についても「畑は除塩のための土の入れ替えが必要だ。自ら公約にしてきた植物工場も選択肢であり、モデル地区となる可能性もある」、「この地域をどうしたいか、県、国に提案していくことが大事だ」と述べた。
新たな発想で、農業再生を考えることが重要だ。

■2011年5月20日(金) の日記
<<メール>>
震災後、メールが滞っていたが、今日全面復旧した。
3.11東日本大震災は、情報化時代の今日、私たちに自然の驚異をまざまざと見せつけ、通信施設を破壊し、安否確認さえもできない状態に陥れた。
市の防災無線も機能しない所も多く見受けられた。応急的な設置が必要だ。

■2011年5月19日(木) の日記
<<支払の滞り>>
被災した中小企業の事業継続・再開を支援する施策が創設されてはいるが、現実的に今の今が運営資金が大変だ。
3.11の大震災後、民間企業の協力によってライフライン等の復旧も進んでは来ているが、震災後、2か月を経過しているが民間企業への支払いは滞りなく済ませているのか。
いまだ支払いがないとの声が日増しに大きくなってきている。

■2011年5月18日(水) の日記
<<復興の会>>
午後、「東日本震災にともなう災害対策等に関する要請書」を3.11東日本大震災釜地区復興の会代表鈴木喜美男さんはじめ総勢10名の皆さんと、亀山紘市長に要請書を提出した。
要請書では、瓦礫や泥土等に覆われた被災農地の早期復旧を強く求めた。さらに、生産基盤の早期確保を図るための、代替農地の造成や施設建設等の大規模プロジェクト事業の実施について国・県と一体となった積極的な取り組みを求めた。
営農基盤をすべて失った農家が多数に上り、生活基盤も危機的な状況にある。

■2011年5月17日(火) の日記
<<悲しい風景>>
大津波は、我々の財産を一瞬にして瓦礫と化した。平凡な日常生活は、窮屈な避難所生活や、被災した家屋での劣悪な生活になっている。
街を歩いていると、大津波は人の心まで瓦礫で埋めたいる時もある。何か殺伐とした、心の風景を垣間見る瞬間がある。
なぜか悲しい瞬間だ。

■2011年5月16日(月) の日記
<<疲労との戦い>>
大震災以後、身体的なケアが大切な時期に来ている。疲れもピークに来ている。ケガも多い。
仙台の公立病院の受付にいると、石巻地方の患者が多く見受けられる。
今後、復旧・復興には長時間との戦いとなる。個人個人の注意は当然ではあるが、社会全体の対応も必要だ。

■2011年5月15日(日) の日記
<<制限と自由の狭間>>
東日本大震災に伴い、石巻市は建築基準法第84条の規定による「被災市街地における建築物の建築を制限する区域」を指定している。
指定区域においては、事業者は事務所のりホーム等、制限されるのではと再建に向け不安を感じている。
一日も早い経済活動を考えるとき、経済環境を制限しない施策が求められる。
早急に住民と一体となった復興計画の策定が求められる。

■2011年5月14日(土) の日記
<<学友との再会>>
中央大学の学友、高山さんと伊藤さんが東京からわざわざ見舞いに来てくれた。
マスコミ報道で、石巻の惨状を見て心配を掛けていたが、元気な姿での再開を喜んでもらえた。
東日本大震災の被害を生で見て、驚き、今後自分たちが何かできることがないか真剣に考えていただいた。
復興した「新しい石巻」の姿を見てもらえるように立ち上がらなければならない。

■2011年5月13日(金) の日記
<<農地は瓦礫の山>>
上釜・下釜地区の被災農家の皆さんと、東日本大震災に伴う災害対策等のついて懇談した。
特に当地域は、県内でも有数の園芸地帯として古くから名声を博していた。しかし、今回の津波被害により農地は瓦礫と泥土に覆われて作付けが不可能な状態だ。
さらに、園芸施設は、倒壊や流失により壊滅的な被害を受けた。農家として危機的な状況に直面している。
農家は、復旧復興の第一歩として、瓦礫等の早期撤去を求めている。
上大第二町内会の鹿野会長と役員の皆さんと食糧支援・瓦礫撤去等について、市当局に対して要請活動を行う。

■2011年5月12日(木) の日記
<<支援>>
支援物資が各方面から頂いているが、市役所職員には、直接行き届いていないのが現実だ。
今日、NPO法人「明るい社会づくり運動」の槇ひさ恵理事長をはじめ役員の皆さんが、市役所職員に対して下着類や靴下のセットを大量に支援していただいた。
全国各地からの善意の支援に感謝したい。

■2011年5月11日(水) の日記
<<余裕なし>>
もう2ヶ月。あっという間の2ヶ月。3.11後、時間的空間の中でもがき続けている。
大津波で犠牲になった人々が、もがき途絶えたことを思うとき心が締め付けられる。
一日も早く国の復興ビジョンを示してほしい。羅針盤のない航海に出向するほど地方には余裕はない。

■2011年5月10日(火) の日記
<<機能不全>>
最近、議会に説明や議論がないままに一方通行でアクセルを踏む手法が一部の部で見受けられる。
どちらかが機能不全を起こしているのか、看過できない現象だ。
その病理的現象を、改善しなければならない。

■2011年5月9日(月) の日記
<<「情報公開日本一」>>
平成23年東北地方太平洋沖地震に掛かる諸々の取り扱いについて、的確に市民に対してわかりやすく伝えることが必要だ。
減免措置についても被災した本人が申請しなければならにものなど、市民にわかりやすい情報伝達が求められる。
「情報公開日本一」を目指す石巻市。市民から求められる前に、わかりやすい情報をすべてに行き渡ることが必要だ。

■2011年5月8日(日) の日記
<<ピーク>>
母の日、大震災の被災地ではどこか影が薄くなっている。
心の余裕を持たなければ、疲れもピークに達している。
休日であるが、市役所は諸手続き等で市民の皆さんでいっぱいだ。それに答える市役所職員の疲れもピークに達している。職員の中にも被災者が多いが、まさに公僕たる行動で対応している。

■2011年5月7日(土) の日記
<<驚き>>
瓦礫の山は、学校敷地内にもいまだ見受けられる。授業が開始されている中で驚きを隠せない。
通学路の震災ごみ、崩れかかったブロック塀の処理等もう一度再点検することが教育委員会に求められる。
今日、学校給食は、パンと牛乳だけか。カロリー不足が懸念される。早急な再開へ向けてまっしぐらに突き進んでほしい。

■2011年5月6日(金) の日記
<<疲労感>>
大震災の復旧は、長期戦を要して被災民は精神的にも肉体的にも疲労感が全身に広がる。
役所関係職員も同様だ。
ゴールデンウイークも大津波で流されたが、平常な気持ちを取り戻すウイークでありたい。
震災後休業していた同級生の店が再開、久々にうれしい笑顔と再開した。

■2011年5月5日(木) の日記
<<「千里の道も一歩から」!>>
AM10時、清水町の湯殿山神社で「東日本大震災復興祈願祭」が行われた。復興から発展へ。「千里の道も一歩から」!
市民からの意見で「義援金の文字も、よく巷では見掛けますが、被災者に届かない義援金では、本末転倒なのでは……と思っております。」という意見が届いた。
どこで、それが滞っているのか。配分委員会の開会と早急な義援金の交付を求めて行きたい。
午後、「東北ライジング」の皆さんと懇談。専門家集団の知的パワーを享受する。今後の活動が楽しみだ。

■2011年5月4日(水) の日記
<<満開>>
市内には、草の根のボランティアの輪が大きく満開になっている。
少しずつではあるが、世の中前進にギアチェンジしている。被災地の農家でも、トラクターを動かしていた。「やっと機械にスイッチを入れる気分になった」と言う。
一方、被害を受けた車の回収は一向に進まない。市外の1社に請け負わせたが、批判の声が噴出している。




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