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ごとう兼位(かずひこ) ハート&ハート活動日記

― 活動内容を紹介します ー

このページは、石巻市議会議員 ごとう兼位(かずひこ)の活動日記です。
活動日記のほか、日々感じた事も話題に、少しずつですが紹介していきたいと思っています。

皆さんのご意見をお待ちしています。

■2012年4月29日(日) の日記
<<「水に負けない」>>
「スポーツアカデミー石巻」復興・再生記念式に出席。石巻市新舘のスポーツアカデミー石巻は、昨年の東日本大震災で大津波の直撃を受けた。しかし、鞄結档Tマーランドの支援を受け「水に負けない」の旗印のもと今日の再開に至った。
亀山石巻市長、境石巻市教育長も出席し復興・再生記念を祝った。
これまでほかの施設で選手強化を行っていたという選手コースの会員によるプール開きが行われた。
施設周辺は、今だ震災の爪痕が残る状態だが、「水に負けない」の旗印のもと厳しい経営環境であるが、石巻市のスポーツ復興の起爆剤となってほしいものだ。

■2012年4月28日(土) の日記
<<生活再建>>
下釜第一町内会・まちづくり世話人会が青葉会館を会場に開催された。
宮城県が施行する高盛土道路、石巻市が施行する矢本流留線の都市計画道路が当町内会地域に計画され、高盛土道路南側については非可住地域として集団移転事業が計画されている。住める区域と住めない区域に町内会が分断されてしまう。地域住民の願いは、1日も早い生活再建を実現することだ。
そのためにも、街路事業、土地区画整理事業等の事業の仕組みについてその長所短所を学び、地域住民が正しい情報を共有して1日も早い復興・生活再建を実現したい。

■2012年4月24日(火) の日記
<<人生の無常>>
故阿部淳 竃k日本海事ホールディングス社長の葬儀並びに告別式が行われ、各界各層の多くの人が参列した。
葬儀委員長の浅野亨石巻商工会議所会頭の挨拶、山東昭子参議院議員が東京から駆け付け弔辞を述べた。
故人は、多くの著書があるが『我ら、かく戦えり―石巻経済再生へのシナリオ』では、故郷石巻の経済再生への思いを熱く述べている。東日本大震災からの復旧・復興、故郷石巻の社会的・経済的再生の知見を、故人にもっもっと伺いたかった。
死生命ありとはいえ、人生の無常を覚えずにはいられず、今はただ心よりご冥福を祈るばかりだ。

■2012年4月23日(月) の日記
<<『大海は芥(あくた)を択(えら)ばず』>>
『大海は芥(あくた)を択(えら)ばず』という故事がある。大人物は度量が広く、様々な人を分け隔てなく受け入れるというたとえだが、故阿部淳 竃k日本海事ホールディングス社長はまさにそういう人物であった。
各界各層の友人の多さは、それを証明している。
故人の火葬、通夜が行われたが思い出話が延々と続いた。

■2012年4月22日(日) の日記
<<『手足を措く所なし』>>
午後、東三軒屋町内会・総会懇親会に出席。東日本大震災は、町内活動にも甚大な被害を与えている。壊れかけた地域コミュニテイの復旧・復興も行政としてサポートしなければならないテーマでもある。
住民は、今先行きが見えない状況、日々不安の連鎖との葛藤で疲れ果てている。
まさに安心して身を置く場所がなく不安でたまらない『手足を措く所なし』状態だ。人生の分岐点と感じている人が多い。

■2012年4月21日(土) の日記
<<思い出>>
『管を以て天を窺う』という故事がある。狭い見識で大きな問題を論じたり、判断したりするたとえであるが、それとは反対に、故人となられた竃k日本海事の阿部淳社長と懇談するとその広い見識と知見に驚き楽しい思い出があふれる。

■2012年4月20日(金) の日記
<<無念>>
『無常の風は時を選ばず』という故事があるが、竃k日本海事ホールディング 阿部淳社長の逝去は、はかない人間の命はいつ果てるのか、全く予測はつかないという世の無常を知らされる。
石巻商工会議所の副会頭等、地域経済の発展に貢献し、東日本大震災からの復興元年に黄泉の旅に立たれてしまった、本人もいかばかり無念であろう。

■2012年4月19日(木) の日記
<<議会は今。>>
東日本大震災から1年を経過し、震災に対する意識が二極化されてきた。実際震災被害を受けた人と、それを免れた人、地域、組織等において時の経過とともにその隔たりは拡大する傾向にある。
その現象は、市議会議員においても見受けられる。一日も早い復旧・復興へ向けての視点のとらえ方を見るときそれは顕著だ。議会においても、早期復興へ向けての政策的団結が必要だ。議会は今、何をすべきか。問題解決の複雑な連立方程式を議員が協力して解いていかなければならない。

■2012年4月18日(水) の日記
<<地域再生>>
被災地を回ると、ガレキは整理されているが、住民の姿が見えない。不思議な静寂がそこにはある。
本格的な復興へ向けて、その静寂から脱したい。
大津波は、人々の財産、人命を容赦なく奪い、地域のコミュニティを破壊した。その再生は容易ではないが、可能性を信じて英知を振り絞って地域再生に努めなければと、更地と化した地で思った。

■2012年4月17日(火) の日記
<<混乱委員会>>
AM10時、石巻市議会・東日本大震災復興促進特別委員会。災害廃棄物処理業務等における石巻復興支援協議会の誤請求問題を集中審議した。
この問題は、「週刊文春」に掲載されたことを問題視するところからスタートした。新たに新事実はなく、その範疇を超えるものはなかった。審議の中で注意すべきは、一部議員が「憶測」や「推測」であおる行為が見受けられた。
傍聴席もそれに引きずられ、委員長から退場を命じられる者が出る異常な状態となった。

■2012年4月16日(月) の日記
<<社会的存在>>
仮設住宅等の孤独死対策は今後重要な施策だ。人間は社会的な存在であり、社会関係やコミュニティが崩れてしまうことが、どれほど人々の健康や精神に打撃を与え目に見えない衝撃を与える。
その衝撃を和らげる継続的な施策が行政に求められる。インフラ等の復旧は目に見えてくるが、心の復旧はなかなか見えないデリケートなものだ。復旧・復興にこの視点を忘れてはならない。

■2012年4月15日(日) の日記
<<再会>>
昼、下釜第一町内会有志による「希望の集い」が開催され約60人が参加した。震災後てんでんばらばら状態の隣近所の人々が再会した。参加者の中には抱き合って再会を喜ぶ住民もおり、涙しながらそれぞれの苦労話に夢中になっていた。参加者全員が一日も早い復旧・復興に期待していた。

■2012年4月14日(土) の日記
<<復興促進協議>>
午後、上釜地区復興協議会が行われ、非可住地域の農地の取り扱いについて、市当局と協議を行う。農家は、復興計画の見通しがつかない現状を憂慮、一日も早い農業収入の確保を目指している。
夜、下釜第一町内会・まちづくり会議。防災集団移転事業、土地区画整理事業等について市当局、コンサルから説明を受け参加者約50名全員で協議を行う。一日も早い復興をめざし28日に次回協議会を開催することを決めた。

■2012年4月13日(金) の日記
<<萩市議会有志ががれき置場視察>>
AM9時、山口県萩市議会青木議長をはじめ9人の議員が亀山市長を表敬訪問。グローバル石巻・高橋会長、西條議員とともに同席。青木議長は、萩市野村市長のメッセージを亀山市長に渡した。
がれき処理に関して、亀山市長はなかなか進まない現状を説明、その受け入れについて協力を要請した。
萩市議会青木議長は、「がれきの処理なしでは復興はない。今回視察した結果を市民に説明し、受け入れに向けて前向きに取り組む」考えを示した。
がれきの現状視察に同行。川口町の1次仮置場、雲雀野の2次仮置場と工事が進められている2次中間処理施設などを回り、萩市議が直接放射線量を測定、震災前とほぼ変わらない測定値を確認した。その量の多さにはみな驚きを隠せない。
途中、東日本大震災で壊滅状態となった川村孫兵衛翁の墓所跡を視察した。

■2012年4月12日(木) の日記
<<萩市議会議員来石>>
山口県萩市議会青木賢次議長をはじめ9名の議員が石巻地区を行政視察。今日は女川町を視察した。夜、青木議長ほか萩市議の皆さんと懇談する機会を得た。
山口県萩市は、石巻の開祖と称されている川村孫兵衛重吉翁の出身地(長州阿武出身)だ。その縁で、萩市からこれまで1,000万円の見舞金が送られている。さらに、萩市のロータリークラブが中心となり、震災で流失してしまった「孫兵衛船」の修復のための募金活動が行われているという。

■2012年4月11日(水) の日記
<<仮埋葬地・慰霊式典>>
東日本大震災直後、仮埋葬地に使用した「上釜ふれあい広場」の復旧故事が始まることになり、現地で工事を担当する菱中建設の主催による慰霊式典が行われた。
東日本大震災直後は犠牲者の火葬が間に合わず、ご遺体を土葬する仮埋葬の措置が取られ、8月中旬まで同施設内には200人のご遺体が埋葬されいた。
私は先の議会で、「上釜ふれあい広場の再開に際しては、慰霊式典等を行い犠牲者の霊を弔うように」指摘した。亀山市長は「工事に取り掛かる際は慰霊式典を行いたい」と答弁していた。

■2012年4月10日(火) の日記
<<小学校入学式>>
AM10時、石巻市立大街道小学校「平成24年度入学式」が同校体育館で行われた。新入生40名が元気に入場。昨年は地域の避難場所として、学校施設内は多くの被災者でいっぱいだった。
PM1時30分、石巻市立釜小学「平成24年度校入学式」が同校体育館で行われた。新入生58名が大きな拍手を受け元気に入場。昨年と比較して新入生は半減。東日本大震災の影響が顕著に見受けられる。
土井校長は式辞の中で、父兄に対して「震災から1年、上釜、下釜地区は被災による厳しい中で、子供を大切に育てたことに敬服します」と労った。子供たちを社会全体で大きく育んで行かなければならない。

■2012年4月9日(月) の日記
<<青葉中入学式>>
平成24年度石巻市立青葉中学校入学式が同校体育館で挙行された。昨年は、体育館が東日本大震災の直後で、避難場所として使用されていたためにサンルームを会場に窮屈な状態で行われたことが思い出される。
中塩校長は式辞の中で「未来は予測できない、未来は不確実である。予測できない時代を生きていかなければならない。その時代を生き抜く力をつける。自分を導いていこう」と新入生に訴えた。
在校生を代表して三浦君は「震災は私たちにいまだ暗い気持ちをもたらしている」と、「しかし、新入生を迎え新たな青葉中を創っていこう」と歓迎の言葉を述べた。
新入生を代表して日野裕真君が「自分の行動に責任を持って行動していきます。東日本だ震災で国内外からの支援、先生、家族、友人がいたから、私たちは今日ある。生きることの喜びを持って、前へ進んでいくことを誓います」と力強く誓いのことばを述べた。
震災から一年を経過したが、教育の現場では、いまだ癒されない生徒の心情が式典中見受けられた。

■2012年4月8日(日) の日記
<<「フランク安田」>>
「フランク安田」友の会総会。藤間京緑会長のあいさつ、阿部淳氏、阿部和夫氏のスピーチで和やかに懇談。昨年は東日本大震災の影響で、総会が開催されず、今回は平成22年度、23年度の事業報告と会計報告及び監査報告、24年度事業計画並びに事業予算が提案され承認された。
アラスカビーバー村との交流や湊町に「フランク安田通り」の設置を推進していくことが示された。
石巻市議会の新会派構成の動向について質問を受けることが多い。6月の議長選へ向けて、色々な言動、行動が見受けられる。

■2012年4月4日(水) の日記
<<「問題の共有」>>
東日本大震災で被災した農家が混迷している。国の支援施策等はあるにも、そのハードルは高い。先が見えない現状、的確な情報が入らない現状、農家の悲痛な声「営農意欲がなくなる」と。
問題解決の連立方程式を行政は解き明かす努力が大切だ。
農家に寄り添った「問題の共有」、きめ細かな「説明責任」が必要だ。

■2012年4月3日(火) の日記
<<机上の空論>>
東日本大震災からの復興では、机上の空論に終わってはならない。被災者は、時間との闘いでそれが伸びれば伸びるほど生活再建の道が閉ざされてしまう。
心が折れそうな人が多いのではないか。希望が持てる施策が待ち遠しい。
市役所内は、人事異動がいまだ落ち着かないように見える。

■2012年4月2日(月) の日記
<<平成24年度が始動>>
今日から実質的な平成24年度が始動。昨年の東日本大震災から「復興元年」となる。市役所内は、新規採用職員や、復興を支援する他自治体からの派遣職員に対する辞令交付式が行われ、どこかさわやかな春風がそよ吹く。
異動者を数人で移動先まで送り届ける光景?が見られた。時代に沿った人事異動の風景があるのではないか。
新戦力を迎え「復興元年」、多くの市民が復旧・復興の実感を素直に口にする年にしたい。

■2012年4月1日(日) の日記
<<『虚仮(こけ)の一心』>>
故事に『遼東の豕(いのこ)』とある。世間を知らないため、くだらないものを自慢して得意になることのたとえだ。狭い自分の世界観で、くだらなさを自慢する輩が闊歩する事はどうにもくだらない。
新年度を迎え、愚か者でも心を集中して懸命にやれば、立派なことができるという『虚仮(こけ)の一心』を以て復興に努めたい。




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