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ごとう兼位(かずひこ) ハート&ハート活動日記

― 活動内容を紹介します ー

このページは、石巻市議会議員 ごとう兼位(かずひこ)の活動日記です。
活動日記のほか、日々感じた事も話題に、少しずつですが紹介していきたいと思っています。

皆さんのご意見をお待ちしています。

■2012年5月30日(水) の日記
<<安全祈願祭>>
AM10時、石巻市魚町3丁目のながはま海浜公園内を会場に、石巻漁港工事安全連絡協議会主催の石巻漁港の東日本大震災復旧工事 安全祈願祭が開催された。
石巻漁港の本格的な復旧工事が、震災後1年数か月でようやく進められる運びになった。
水産加工団地内では約5千人の雇用を確保していたが、震災により壊滅的な状態となり、一日も早い復旧再生が待たれている。
しかし、放射線量の新たな問題が発生し、復旧復興の大きな足かせとなっている。
水産加工団地内の道路は、地盤沈下が著しい。それに伴い排水処理の敷設管の整備は大丈夫なのか、本格的な操業再開の対応を誤ってはならない。

■2012年5月22日(火) の日記
<<松下村塾から>>
8時半、グローバル石巻・会派全員が石巻市役所に集合、山口県萩市を目指して出発。仙台駅から新幹線で東京へ、羽田空港から宇部山口空港へ。ジャンボタクシーに乗り換え萩市へ。宿泊先近くの、松陰神社を参拝。松の茂る清浄なな境内を進むと、吉田松陰歴史館をすぎ、左手に「松下村塾」がある。歴史を振り返れば、吉田松陰は、1857年出獄して、杉家に幽閉中、叔父玉木文之進の松下村塾を引き継ぎ、安政の大獄により29歳で刑死するまでの2年半、高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠、山形有朋など幕末から維新にかけて活躍する人材を育成した。松下村塾は、杉家の物置小屋を改築したもので、質素で本当に小さな建物だ。藩が作った藩校明倫館とは比較にならないし、下級武士の子弟が多く学んだことでも有名で、明治維新の原点が松下村塾にある。時代の変革をとらえ、新しい日本を築くために活躍した歴史的な地に立ち、がれき処理で百条委員会設置と騒いでいるより、千年に一回の大震災といわれる東日本大震災からの復興、新しき地域社会を拓く実践が我々に課せられていることを強く感じる。

■2012年5月21日(月) の日記
<<明日から視察>>
明日から、グローバル石巻・会派行政視察に出発。山口県・萩市。島根県・出雲市。島根県・松江市を視察する。
出発前とあって、所用を済ませることに時間を使い果たす。
新会派となって初めての視察となる。いざ出発。

■2012年5月20日(日) の日記
<<薄ら日状態>>
震災復興に向けて、住宅建築が進んでいる。各区画整理地内でハウスメ−カーの住宅展示場も多数ひしめいているが、被災者の多くはいまだ仮設住宅暮らしが続いており、一日も早い集団移転地の造成や災害公営住宅建設を望んでいる状態だ。
今日、同僚議員の阿部仁洲さんの自宅の上棟式が行われた。東日本大震災で全壊状態になり新築するものだが、二世帯住宅の建坪83坪はかなり広いものだ。
復興はいまだ薄ら日状態だが、住宅新築の光景を見るとき希望が湧いてくる。

■2012年5月19日(土) の日記
<<春季大運動会>>
風薫る五月にふさわしい天候のもと、市内各所で小学校の春季大運動会が開会した。釜小学校の運動会は、校庭狭しと応援の保護者が詰めかけ競技のたびに声援が上がり、震災で傷ついている児童を励ましていた。
午後、上釜地区の農業関係者の皆さんと復興まちづくりについて協議。一日も早い震災復興を目指す、園芸農家の出口のわからない苦悩が伝わる。

■2012年5月18日(金) の日記
<<女川原子力発電所視察>>
石巻市議会・グローバル石巻、新世紀、2会派合同の女川原子力発電所の状況について視察した。
女川原子力発電所は、昨年の3.11の東日本大震災時、1号機と3号機が通常運転中、2号機が原子炉起動中だったが、すべての原子炉が自動停止した。
今回の視察でも、女川原子力発電所の全号機は、安定した状態で停止しており、構内では、設備の点検や復旧作業、耐震補強等の工事が進められていた。
渡部女川原子力発電所長の挨拶のあと、遠藤所長代理から安全対策、工事等の進捗状況について、雨の中、現場視察を含めて詳しく説明があった。
その後、半島の寄磯、大原地区の被災状況と諸問題について2会派合同で現場視察を行った。

■2012年5月14日(月) の日記
<<荒れる議会>>
AM10時、石巻市議会・東日本大震災復興促進特別委員会。議題は、石巻市立学校施設災害復興整備計画について、被災者住まい再建検討のための参考値について、石巻市立病院復興基本計画について、仮設住宅における現状について、ガレキ処理問題について。
議場には異常な状態だ、傍聴者2人がヤジを飛ばし委員長から退場を命じられる始末。これは議会先例においても、初めてのケースではないか。
質疑の中で、災害公営住宅の建設戸数に関し、災害復興計画では3,000戸とされえいたが、アンケート調査では、災害公営住宅への入居希望が増加し、4,000戸の建設が必要と述べた。市民は、一日も早い建設を望んでいる。

■2012年5月13日(日) の日記
<<復興の推進役>>
日本は第二次大戦後、世界の奇跡といわれる高度成長を成し遂げ、世界第二の経済大国と称されるまでになった。一人当たりの国民所得も平成五年には世界でトップになった。しかし、その面影は今日感じられない。
東日本大震災による致命的な打撃が、日本の、石巻の衰退を加速させはしまいか。それを乗り越えるえることができるのか、日々不安に陥る。なかなか復興が目に見えて進まない状況。市民は、復興が進んできたという実感を確かめたい。その具体的施策が求められる。議会はそれに対応しているだろうか?復興の推進役となり得ているか。今日、ただ単に政争工場とかしてはいないか?

■2012年5月11日(金) の日記
<<北上地区視察>>
午前、グローバル石巻・会派全員で北上総合支所を視察。北上地区の復旧復興対策について総合支所幹部と意見交換を行った。ガレキ処理の現場や、漁港復旧状況等の現場視察も行ったが、大震災による被害の爪痕は、集落ごとにその内容は大きく違う。その解決の中心となるのは総合支所・職員の皆さんだ。

■2012年5月9日(水) の日記
<<生活環境の創造>>
午後、石巻市震災復興部と下釜第一町内会をはじめとする6町内会長が「復興に関するまちづくり」について協議を行った。
被災した各町内会では、防潮堤、高盛土道路の早期建設なくして「安全に暮らせない。」、「一日の早い防潮堤等の建設を求める」意見が多い。一日も早く住民が安心して暮らせる生活環境を創造しなければならない。

■2012年5月8日(火) の日記
<<疑問>>
東日本大震災後、仮設住宅や民間借り上げ住宅での生活を余儀なくされている市民は多い。
被災した市民が住み慣れない地域での疑問というものが多いようだ。
手元に旧町の「消防団後援会についての疑問」という投書が送付されてきた。その内容については精査しなければならない。

■2012年5月3日(木) の日記
<<憲法記念日65歳>>
日本国憲法が施行されて65年の今日、憲法記念日に東日本大震災から1年を経過し、その復興を考えたとき「国家の在り方が問われている」。
国内外に多くの懸案事項を抱える中で、憲法の議論を深め、改正議論も視野に入れた国民的議論が必要だ。
東日本大震災の反省も踏まえて、緊急事態に対処するための議論も必要だ。平時において、大いに議論し対応を急ぐべきものと思料する。

■2012年5月2日(水) の日記
<<歪な社会環境>>
29日、スポーツアカデミー石巻「復興・再生記念式」が行われ、プール開きが行われて初泳ぎが披露された。東日本大震災後、スイミングクラブや、スポーツ少年団等の練習環境は最悪の状態だ。
震災後の子供たちの運動量が減っており、自宅被災等のために学習環境が失われていることも看過できない。
子供たちに震災のしわ寄せが押し寄せ、歪な社会環境となっていることが心配だ。
放課後児童クラブ等学童保育の支援体制が急務であると考える。

■2012年5月1日(火) の日記
<<「大型直売所施設>>
亀山市長に対して、いしのまき農業協同組合・石川組合長から『石巻市新市街地における「大型直売所施設」建設用地確保に関する要望書』が提出され、グローバル石巻のメンバーが同席その必要性を訴えた。
建設用地の要望は、同組合が所有する蛇田字新沼田の農業情報センター周辺地。そこを直売施設の建設可能な市街化区域に編入し、50から100アール規模の用地を確保し、復興交付金事業の施設整備の実現性を要望した。
当該地区には、同組合が運営する「トマト選果場」、「野菜出荷場」、4万俵のコメを保管する「低温農業倉庫」を有し、震災時には精米提供等地域住民への食糧供給拠点として有効に機能できるものと考えられる。食糧危機管理上有効な施設で建設実現に期待したい。




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